日本刀は古くからわが国が誇る鉄の文化財です。

四方山話38「私の愛読書」

2019年02月21日 更新

「職人衆昔ばなし」斎藤隆介著(文藝春秋社)
昭和四十二年一月二十五日第一刷

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登場人物は、昭和三年生れの土田一郎さん以外、明治九年生れの小川才次郎さんから26名全ての方が明治の人で表題どうり各種職人のお話しである。

入手したのが何時のことだか憶えていないけれど<文春文庫1979年8月25日第一刷>が別に有るのは、りっぱなケース付の本を気使って購入したに違いない。

表紙を二度三度とセロテープで修理してボロボロになっているので、かなりの年月を過ぎていると思う。

著者の斎藤隆介さんが聞き書きという方法で、雑誌「室内」(山本夏彦さん編集)に連載されたものである。

 

=閑話休題=
私は日本刀の鑑賞を四十数年来趣味としている。
日本刀には千年の歴史が有る。
趣味として鑑賞している位でおこがましいが、製作された時代を知りたいと思ったり、作者たる刀匠がどんな人なのかと考えてみたりするようになった。

日本では昔より、職人をだいじにしてきたと思う。
そんな日本人の気持が単に鑑賞するだけの私に、時代や刀匠に想いを走らせるのだろう。

いくら想ったところで結果は皆無に近いが、解らないことが苦痛にならないのが不思議であるばかりか、近頃では思い考え続けることが快感になってしまっている。

少しばかり具体的に述べると、=肥前国忠吉(初代)=をずいぶん前から一本所持している。

ある時、忠吉に会ってみたいと阿呆らしいことを思ったのが事の初めなのである。

全国区と云える程知名度が高く忠吉の研究は進んでいるようで文献も多く、現物にもよく出合う。

我家で一人ひっぱりだして眺めている時、すぐに阿呆らしくなってしまう。何の結果も得られないのに。

日本刀の歴史は永い、数十年趣味として刀に接していても、解らないことは有って当然である。
解ろうとするからいけないので、何かを感じられれば良しとすることにした。

感じるとは抽象的で、なんとなくでもいいのだから、感じたと思えば全て解決する。
阿呆らしい時を経て、こんな阿呆らしい境地にたどり着いた。

 

「職人衆昔ばなし」斎藤隆介著いい本です。
27名(一人欠)の名人の写真が略歴といっしょに第一ページ目に載っています。
明治生れの職人名人に確実に会えます。
枕頭の書としておすすめします。お捜し下さい。

ただ名人達の作品は観ることも、手にすることもできません。
ページをめくり、名人の写真を見ただけで、文章の内容がすぐに浮かんでくるのに、作品には縁がありません。

ところが趣味にしている日本刀は時代も刀匠のことも解らないのに、八百年前、六百年前、四百年前の品を手にとって眺めることができます。この矛盾に答えはありません。

明治、大正、昭和(前期まで)に居た名人達の話を聞き書きしたこの本を繰り返し読んでいると、朧ろ気ながら得心のいく気分になります。

名人達の人間味や、修行時代の記述など想像できない時代になっていまいましたが、古いとか徒弟制度批判とかしてみても意味がありません。

手にすることも観ることもできない、そしてもう作られる事も無いかも知れない作品が有ることは違いないのですから。

それより、名人達の師匠や兄弟子達の名人振りを聞くのは実に快感です。
尊敬し、誇りにすることを読むと感動してしまいます。

日本刀の刀匠達とこの本の名人達とに違いは無いのです。
四百年前の初代忠吉の顔とこの本の名人達の顔が重なると思った時の気分は得がたいものでした。

 

本文より指物師 茂上恒造さん(明治28年生)の話しをひとつ紹介する。大晦日の話です。

 

=古道具屋の店先でヒョィッとこいつが目に入った。桑のムクで内ボソのオトシがついた七寸五分高の一対の火鉢だ。
その姿かっこう、五十年前に車坂の留さんが富村にいた頃作ったものに間違いはねえ。ほかの誰にも作れねえ留さんのものだ。
よそへの払いに算用してた金から大いそぎで払って買って帰って来た。
ボヤク女房に自慢タラタラでその夜から元旦の朝にかけて、二ツの火鉢に二ツの火をいれて、しみじみとあったまったことさ。良い仕事ってえものは、何十年、何百年たっても人の心と体をぬくためるもんだ。=<留さんお懐しう>

 

(公)日刀保会員 米田一雄