日本刀は古くからわが国が誇る鉄の文化財です。
四方山話34 「退会 その後」
日刀保 博多支部に入会して30年になったと思う。
活発な博多支部活動の中で、水を得た魚のごとく動き回った。
観せられる刀のレベルの高さ、鑑識眼の深い先輩の皆さん。
圧倒されながらも与えられた場面に昂揚し、鑑定会が待ちどうしかった日々が永く続いた。
恐くて、憧れるだけで精いっぱいの先輩宅にもよく訪ねさせてもらった。
こうして15年~20年と過している内に、支部活動の手伝いができるようになり、気が付いたら、鑑定入札表にペンを入れる判者や鑑定刀の解説をしている自分が居た。
30年は永い、博多支部の活動でずいぶん鍛えられた。
いつも気安く刀を提供していただいた大先輩、指導された恐くて優しかった先輩方、ライバル心を燃やした同輩達、この間に逝ってしまわれた方々も多い。
私もその道を歩いていると思っていた、それが古稀を過ぎての博多支部退会とは夢にも想っていなかった。
ここが私の道場で、ここからあちこち、武者修業にも出ていった。
身辺整理をすませ、一息ついた所で、寂しさに襲われた。
刀剣趣味とはなんだろうかと、年甲斐もなく弱気になって考え込む私が居た。
家人は留守、刀をだし、ていねいに鑑た。ところが、アレアレと思わされる点がけっこう有ることに気づいた。
狼狽する私がいた。
馴染みの深い刀さえ、しっかり把握できていないのである。
=刀剣の道に入って四十数年、いまだ道中途=と得意気に気どってはいたが、自分の刀でさえこの有り様。
知らないのである。
刀剣趣味とはと考え込むなど笑止千万なのであった。
小道具を応接台の上に並べてみた。
結果は刀と同じで、恥づかしながら、詳しくは言えない程度の感じ方しかできてないと思った。
古稀を過ぎてだの、寂しさにとか、考え込んだとか、よくぞ言えたもの。
数百年の昔に創られた品を解った振りをして眺めていただけの自分が恥かしくなった。
刀を持つこと、眼で観ることができるかぎり、刀や刀装具は慢心することなく、対峙しなくてはならない。
このホームページに何等かの事がアップできるように、若き頃の昂揚した自分に戻って刀や刀装具を眺め続けます。
時々ページをのぞいて下さい。
感じた事を書き、少しでも、刀の勉強に手助けができるとすれば、私の生き甲斐になります。
博多支部を離れましたが「応援するから」「小さな集りを」と、背中を押してくれる励しもあります。その方向に歩いて行くつもりです。
刀や刀装具を観て、品々から与えられる事を感じることが勉強だと思いますので、残り時間は多く有りませんが、一歩一歩、進んでまいります。
このホームページをどうぞよろしく。
平成三十年五月三十日