日本刀は古くからわが国が誇る鉄の文化財です。
四方山話28 「三ツ子の魂 百まで」
「三ツ子の魂 百まで」
無銘の笄が一本送られてきていた。
目玉がギョロリとした蜂のような図柄が浮き彫されていて、一見して何だか解らなかった。
特保を確かめると揚羽蝶とのことで、よりそった三頭が目玉を剥ている。
私は子供の頃、昆虫少年であった。(小学5年~中学3年)
粗末な網を持って、山野を歩き回っていた。
揚羽蝶は採集目標の上位に位置する蝶で、飛んでいても一目で名前が解った。
大型の蝶なのに、採りにくい蝶で、逃がし続けていたのを憶えている。
小さな笄にデザイン化されているのだろうが、私には揚羽に見えない。笄の姿はともかく、目玉の金象嵌のみの地味な作で、返送することにして、その旨連絡すると、無能を憐れむがごとくの声で、=手元に置いていたほうがよろしいですよ= と返された。
後藤二代宗乗で、健体であり、持っていて悪いことはけっしてありませんとのこと。やさしい言葉使いながら、耳に痛い二言三言で、返送を止め、入手することになった。
蝶が吸水をする場合、三頭四頭、群れることがあるが、入手後とはいえ、揚羽には見えず、特保の二代宗乗 揚羽 と思い込むことにしていた。
さて、数ヶ月後、知人を通して、刀装具の購入依頼が有り、翌日拝見に訪ねると、小柄、笄、鐔、三点をだされた。
小柄、笄はともかく、大型の鐔(無銘)に六頭の揚羽が透し彫れされている品が有った。
切羽台を挟んで左右に二頭づつ、上下に一頭づつ、宗乗笄にそっくりな金象嵌の目玉をした蝶がとんでいて、宗乗の笄を見ていたからか、すぐに揚羽蝶だと解った。
後羽に金の平象嵌がしてあり、中心部に銀で丸い模様が三ヶ所有る。
むろん、揚羽蝶だと解ったところで、時代も作者も系統さえ全く解らない。
又、揚羽かと思うどころか、私の気持ちは昆虫少年で、追いかけ回ってやっと採った時のような興奮状態になってしまった。
幸い、値段も折り合い、持ち帰って宗乗笄と並べてみると、刀装具を見ている気分より、展翅板からはずした蝶の標本を見ているような気持ちになった。
返送しようとした笄を揚羽だと思い込んで入手し、その経験から、大型の透し鐔の図を揚羽蝶だと見抜き、はるか昔の昆虫少年の気持ちになって、喜んでいる。
刀装具の鑑賞からは相当はずれているが、何はともあれ、私自身が幸せであることには変りない。
小さな出来事だが、これも人生の快事、一晩つまみにしてうまい酒を飲んだ。
ただし、となりで笄と鐔を眺めていた妻はただ一言、=これは何?= と私に冷水を浴びせることを忘れなかった。