日本刀は古くからわが国が誇る鉄の文化財です。

四方山話21

2014年04月07日 更新

数打物、束刀、粗悪品の代名詞になっているこの言葉が気に掛っている。
眼をそむけなくてはいけないような気持にさせられる。

対明貿易に対して、盛んに製作された刀と聞いているが、時代は室町時代、後期としてもずいぶん古い。
多くの名品を残している同時代の備前と関にこのように呼ばれる刀が多い。

ある日、一本の脇差が手元に入ってきた。
銷身であり、鞘はボロボロであったが先反りの強い姿から、備前の未古刀と察せられた。
備前国長船清光、天文七年二月日、穴一となっていた。
広直刀で雰囲気に引かれる所があり、研に出し、白鞘も新調してみることにした。

結果は半々と云ったところで、名匠の多い、天文の清光と人様に吹聴することはできないが、全体の調子から、時代の天文年記には、充分うなづけた。

数打物との言葉が湧いてくるが、研代、鞘代が惜しいとは思えなかった。
つまり、期待と現実が半ばして結果は半々と云うことになった。

刀には雰囲気が有ると思う。微妙な云い方だが、時代や作域の特徴が見る者を導いてくれ納得させられて、多いに楽しませ、気分を良くしてくれたりする。

手元の脇差は私を楽しませてくれた。
研代、鞘代、少々の購入代価を全部足しても、名品、天文の清光を望むなど、言語道断のことから思えば、大成功であった。

研に出してから、手元に戻るまでの間、過ぎたる期待にワクワクした楽しみを思えば、オツリを差し出したいくらいであった。

言葉が先行して、刀の素状を定める。
重要刀剣、すなわち、名刀であり、数打物、即粗悪品となる。

頭に付く形容詞が、評価を高めるものなら、良いのであるが、その真逆の場合は問題を含んでいるのではないかと思っている。

誰が、何時頃、言いだしたのか知らないけれど、偽物ならともかく、数百年前の作品を一言で決定される形容詞には、少しばかり、注意が必要だと思う。

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刀の勉強を楽しくいたしましょう。