日本刀は古くからわが国が誇る鉄の文化財です。
7月鑑定会報告(古文書講座)
2015年08月10日 更新
7月鑑定会報告 古文書講座(筑紫広門一字書出と公役免状)
寛永二十一年六月、筑紫主水正(筑紫廣門)家来「田中武兵衛尉」より豊後国速見郡、浜脇村鍛冶・三郎右門へ、「廣の字一字を与えるので、以来「廣」の字を刀・脇指の銘に切付よとの書状であり、公役を免除するとの書状である。
掛幅装を観ながら書状の有り方の説明を受け、内容についての解説を受けた。
面白かったのは、旗本・廣門の一字を知行地の鍛冶「三郎右門」に与えることで、旗本位の地位で、江戸を遠く離れた知行地の鍛冶三郎右門が、刀・脇・数腰を打上ているので「廣」の字を与え、抱え鍛冶を持った気分になったのではないかと思えることである。
寛永二十一年であれば筑紫廣門の気分の中には武家としての気が大いに存在し、夢をみたのではないかと思える。
武士と刀の究極の関係が抱鍛冶の存在とすると、主水正、廣門の夢には納得させられる所もある。
ただ、「廣」の字を与えられた江戸初期の刀工は「藤原廣行」と思われるが、現存刀は少ないようであり、豊後国速見郡浜脇村は、その後程なく、天領となり筑紫廣門も刀工藤原の廣行も、ごく短い時間で姿を消してしまった様子です。
しかし古文書の存在はありがたい。埋もれてしまった人物や、刀鍛冶を眼前に浮かびあがらせてくれる。
今後とも、支部研究会の中で、取り上げ、刀や小道具の側面から見る勉強を続けて行きたい。